-太田伸之(元クールジャパン機構代表取締役社長)× 山田敏夫(ファクトリエ代表)

山田:
まずは学生さんが多いので、「クールジャパン機構って何?」という方もいらっしゃると思います。その辺も踏まえて、自己紹介からお話しいただいてもよろしいですか。

太田(敬称略):
はい。僕たちは通称“クールジャパン機構”と呼ばれていまして、正式名称は“海外需要開拓支援機構”といいます。始まりは約10年前。 小泉政権時代に官僚や学者のみんなさんが「このままだと日本の電機メーカーなどがダメになって、外貨を稼げなくなる時代が来るかもしれない」という仮説を立てたんです。 それがいま的中してしまったわけですが、日本がダメになる前に別の産業を育てようと、それまで国の政策とは離れた場所にいた漫画やアニメ、テレビ、映画、音楽といったエンターテイメント業界のトップ、僕らファッション業界の人間が集められたわけです。 約4年かけて提言がまとまり、政権が民主党に変わった頃から“クールジャパン”と呼ばれ始めました。その後クールジャパン機構を設立する法案が国会を通過、僕は銀座の松屋に勤めていたのですが、「社長をやらないか」と誘われました。

山田:
2013年の設立と同時にクールジャパン機構へ入られて、いまは服やエンターテイメントのほかに、食など幅広く携われていますね。

太田:
はい。クールジャパン機構は、政府や民間から預かったお金を、日本のコンテンツ、生活文化や技術を世界に広めようとする事業者に投資する会社です。もちろん投資したお金はきちんと回収して、株主の政府や企業に返します。主に海外進出を目指す企業を応援することと、海外から日本へ来る人たちにサービスを提供する企業への出資を行っているのですが、ファッション、日本酒、音楽、この3つのジャンルがなかなか進みません。

山田:
そうなんですか? 音楽はニュースなどで「AKBがニューヨークでライブをして盛り上がっている」というような映像を見たことがあったので意外です。

太田:
個々でならありますが、集団になると各々に考えが違うからか、まとまって行動できません。だけど、もしまとまれたら大きなパワーが生まれます。震災後の話ですが、まだ松屋に勤めていた僕は、暗くなった銀座に心を痛めていました。だから被災地のためにも何かしようと、長年のライバルだった三越銀座とイベントを起こしたんです。「一緒にジャパンデニムの良さを広めよう」とテーマを決め、どちらがよりお客様を喜ばせられる商品やディスプレイをつくれるか競い合った。普段なら難色を示す役員も全員OKを出してくれて、三越の商品が松屋ウインドーに、松屋の商品が三越のフロアに並びました。

山田:
すごい!そのイベントは、いまも“銀座ファッションウィーク”として続いていますよね。

太田:
一見めちゃくちゃな話でしょ。でも1足す1が3になるってそういうことで、これをどれだけ積み重ねられるかが企業の発展に繋がると思います。うちの社員にもよく話すのですが、洋服屋さんに「ゲームソフトの会社をつくりませんか」と、全く畑違いの提案をしたとするでしょ。感度が高い社長は、翌日に電話が返ってくる。ところが感度が低いと、1カ月後に「まず調査をしましょう」と返事がくるんです。世界で戦うなら、経営者に挑戦する気概とスピード感がないと無理ですよ。「やるかどうか」ではなく、「どうしたらできるか」を議論することが大事です。

山田:
太田さんは早くから海外に渡って外の世界を見られていますが、世界ではメイドインジャパンはどのような立ち位置で、どう評価されているのでしょうか。

太田:
僕が学生だった頃、アメリカのデザイナーは日本ではあまり知られていませんでした。僕は「もっと日本へ紹介しよう」と大学卒業後すぐに渡米し、ニューヨークを拠点にフリーランスでライターをしながら、アメリカのデザイナーと日本企業の仲介をしていました。 するとあるとき米国バーニーズニューヨークから依頼されて、今度は日本のデザイナーを紹介することになりました。当時のパリコレは意外とヘンテコな服が多くて、その中で光っていた日本のイッセイミヤケやカンサイヤマモトが彼らの目にも留まったようです。 僕たちはThe New York TimesやVOGUEの編集者を集めて小さなショーを開き、バーニーズニューヨークに“TOKYO”というブティックをつくりました。そのとき出店した1つが、パリコレに出る前のCOMME des GARCONSです。当時は名前も覚えてもらえてなくてね。 英語読みで「コメデスギャーコン」って(笑)。

会場:

(笑)。

太田:
それくらい当時世界では日本のデザイナーのことをほとんど知りませんでした。でも地道に広めていたらブームが爆発して、世界中のトレンドが東京風になった。 すると西洋生まれの洋服の主流が、東洋に移ることを嫌う人が出てくるわけです。日本のデザイナーというだけで、タブロイドに写真を載せて大きな×を付けられたり、「マネをしている」と難癖を付けられたりし始めました。要は「出ていけ」ということです。 僕は日本のデザインがいかに優れているかを世界へ発信するため、日本へ戻って同じ想いの人たちとデザイナーの協会をつくりました。以来、日本のファッション業界を見てきましたが、その発展は目覚ましいです。パリにデザイナーが社会に登場した頃、日本はまだちょんまげを結っていたんですよ。それが短期間のうちに進化し、KENZOがパリコレに現れてイヴ・サンローランと約10年間も主役の座を競うようになり、いまの若い世代も含めて多くのデザイナーが注目されました。 素材や縫製も良さがいっぱいあります。ただ1つ不足しているのは、ファッションを理解できるビジネスマンが少ないことです。

山田:
それはどういう意味ですか?

太田:
クリエーションとビジネスを、バランス良く両立してマネジメントできる人が少ないんです。だから才能あるデザイナーが出てきても、クリエーションを理解するビジネスマンがいないから途中で行き詰まってしまう。世界ではデザイナーが経営しないんですよ。会社が潰れたらクリエーション活動できない、在庫が溜まったら左脳を使って対策を立てなくてはなりません。だけど右脳で考えるデザイナーは、そんなこと全然気にしませんからね。

山田:
なるほど(笑)。

太田:
デザイナーはそれでも良いんです。だけどバイヤーは違う。松屋には業界で有名な女性スイーツバイヤーがいて、全国のスイーツを食べ歩いて常に知識を蓄えています。そうでなければ、商品を仕入れることもお客様に販売することもできませんよ。そもそも商売が当たるかなんて、やってみなければわかりません。それでも「やってみようよ」とチャレンジする根性があり、クリエーションの価値を見極める努力を続けられる人。そんな人が増えれば、ファッション業界に限らずこの国はもっと強くなると思います。

山田:
“クリエーションの価値を見極める”ですね。僕らファクトリエには、とても共感するお話です。今後も価値のわかる目をきちんと養いながら、たくさんのつくり手と使い手を繋いでいきたいと思います。本日は貴重なお話をありがとうございました!